CDのようなデジタルメディアの限界が来たときにアナログに戻るという発想があるのは音楽と音楽ファンだけですよね。だからアナログ回帰には全く興味がないです。そもそも、パッケージメディアとしてのCDはかなり不自然に作られたものなんです。回転することも丸いことも不自然だし、ほぼ全てレコードのアナロジーで作られたとしか思えない。

昨日ひさびさに会った研究会で一緒だった、いま女子中学校/高校で情報処理を教えている子から最近の子たちの携帯の使い方を聞いてみた。

* パケホーダイじゃない子はほとんどいないのでは
* 通話はほとんどしない
* Softbank の子は例外で、家に着いた途端彼や友達と通話しっぱなしにする。しゃべらないで、ゴソゴソとか音だけを流してるぽい
* ネット系の子たちは「ちょwwwおまwwww」「ワロスwwwwww」などにちゃん用語を声にだして発言する
* ブーンとかモナーをわら半紙にアナログに描いてる
* ニコニコ動画してる子も多い
* そういう子に「黙れニコ厨」というとこの世のものとは思えないくらいウケる
* 2ch やってる子もけっこういる
* mixi は年齢を 18 歳と詐称してやってる子も多い
* モバゲーはほぼやってる
* 携帯(おもにモバゲー)を使ったいじめはやっぱりある
* 1 日 100 通くらいメールしてる
* デコメはたまに送ってくる。全部のメールがデコメなわけじゃない

しかし、雑誌業界の人たちは工夫がないなあ。
「GQ」とかほとんどそのまま雑誌を載せてるだけだし。なんか表紙だけインタラクティブっぽいけど。
他も色々試行錯誤してるけど、私はずっと言い続けている通り、雑誌ってパッケージングが時代遅れだってこと。
音楽業界で言えば一曲ずつのダウンロードが当たり前の時代に、なんでわざわざ人が選んだコンピレーションアルバムを買わなきゃいけないわけ?

twitterだって、itunesだって今は一人ひとりが自分好みのTLやプレイリストを作る時代。
そして爆発的に売れるものは売れるけど、売れないものはほとんど売れないクリエーターも格差の時代だ。
でも逆に言えばこれまでは出版社などが足きりをしていた人も勝手にデビューできる時代とも言える。
そこから誰も見出せなかった才能が生まれてくる事もある。

楽しい時代になってきた。一部の既得権益層には厳しい時代。
じゃあ僕の家に「メディア」と呼びうるものはいったいなにがあるのか、と思って見渡してみると、本、写真(スライド)、カセットテープ、VHS、CD、DVD、ICレコーダー、PC(あるいはインターネット)……いやはや、ないと思ったら結構ありますね。
こうやって挙げてみると、僕らの生活は、ライヴ+フロー的なメディアよりも、アーカイヴ+ストック的なメディアに囲まれているんだということがわかります。そこから逆説的に、テレビというものが、そのライヴ性ゆえにか、すごく影響力の強いメディアであることがわかります。さらに言うと、人間はライヴ性のあるメディアに「弱い」こともわかります。

1.ウェブの自由さを、ソーシャルサイトがキュレーション

誰もが自分のウェブサイトを作ることができるようになった当時、人々は、その制限のない自由さに最初は喜んだが、大半の人は結局、その状況に尻込み した。HTMLの学習とページの更新に多大な時間を費やしたとしても、友人が自分のページを見つけてくれるという保証はなかった。

このような理由から、個人制作のサイトというのは、いまだにコンピューター好きのギークのものであり続けている。いっぽうで、『Facebook』 『LinkedIn』『Tumblr』『Flickr』などの前もってページを準備してくれるソーシャル・サービスは、プライバシーの懸念があるにもかか わらず繁栄している。つまり、われわれはウェブの自由さに直面したが、ソーシャルサイトによるキュレーションのほうを選んだのだ。

2.「音楽批評」は「音楽キュレーション」へ

かつては、音楽ファンは事実上アルバムを買うしかなかったため、自分の選択に慎重になる必要があった。そこで、購入決定のガイド役として頼みにされ たのが、「音楽批評家」と呼ばれる、出版社に雇われた人々だ。人々は、ラジオでたまたま耳にするか、ヘッドフォンで無料試聴できるレコード店で列に並ぶ以 外、その曲がどう聞こえるのか知る方法がなかったのだ。

現在人々は、世界中のたいていのバンドの音楽について、『YouTube』『MySpace』『Spotify』、そしてファイル共有サービス『The Pirate Bay』などで、1分足らずで調べることができる。こうした状況のなかで、音楽評論家の 役割はかなり縮小しており、批評よりもキュレーションが重要になっている。

ユーザーにとっては、お気に入りの音楽ブログが何かの曲に言及したという事実のほうが、その言及の内容よりも重要なのだ。誰もがその曲を、ダウン ロードなりストリーミングなりして、自分ですぐに聞くことができるのだから。

3.ニュースは閉鎖系からフィルタリングへ

インターネットと『Google』が登場する前には、われわれには「キュレートされたニュース」しかなかった。当時、たいていの人にとっては、1〜 2種類の紙の刊行物が「読むニュース」のすべてであり、それは閉じられたシステムだった。

ニュースがインターネットに進出し、ネットによるニュースの配信が始まると、アグリゲーションが重要になった。『Google News』で現在の出来事を検索すると、同じ話題について大量の記事が見つかる。また、報じられる出来事の数はこの10年で急上昇している。

こうした状況下で、再びキュレーションが重要になった。ニュースの記者と編集者は、情報の海をヒゲクジラのようにフィルタリングして、真実で今日的 で興味深いものを見つけようとしている。ほかのことに日々忙しい読者が、この作業を自分でやらなくてもいいように。

オリジナルのニュースを作り出す者は、以前と同様に重要だ。おそらくは、以前よりも重要かもしれない。「患者第1号」には誰もがリンクバックするか らだ。

4.機能をキュレートされたデバイス

『Kindle』、携帯電話、デジタル音楽プレーヤー、GPSなど特定用途のデバイスは、機能をシンプルにキュレートすることで、汎用のデスクトッ プ・コンピューターを上回る体験を提供している。携帯型のデジタル音楽プレーヤーや大画面のテレビなど、メディア消費用に設計されたデバイスの場合はとく にそうだ。

われわれは、ニュースリーダーのフィードやTwitterなど、ネット上で出会ったさまざまな内容をInstapaperを使って保存して、機能が 絞られたiPadやkindleで読んでいる。

こうしたデバイスと、ギーク好みの汎用コンピューターは、ちょうど、SNSサイトと自作のウェブページが両立するような形で、これからも両立してい くだろう。

小田 まだ僕たちはデジタルを知らない大人たちの影響をすごく受けてて、結局はデジタルネイティブじゃない人たちが作ったシステムを僕たちが使っているわけですから。デジタルネイティブである僕たちが大人になって作ったサービスを使う子供たちこそが、真の意味でデジタルネイティブだと思ってますよ。
社会問題化していくことが必至なアップルのコンテンツ検閲問題。具体的事例。/ 電子コミック「働きマン」が配信拒否になった理由
米女流作家が語る電子書籍時代の作家活動。あらゆるソーシャルメディアで読者に活動や情報を伝え、執筆そのものもコラボレイティブに変わっていく。
買うメディア/所有するメディア/ソーシャルメディアのうち、既存広告代理店が扱えるのは買うメディアのみ。
「紙の本の文化が…」というのは既得権益と自分の活動場所を確保したいが動機の戯言。文化は残ります,ただし形を変えて。それが文化だもの。